2012年01月24日
変わってきたなぁという自覚
最近、というか去年の暮れくらいから後輩に、
「最近チャラいっすねぇwww」
なんて言われます。
チャラくはないと思うんですが………でも最近ちょっと変わったかなぁ、と。
「最近チャラいっすねぇwww」
なんて言われます。
チャラくはないと思うんですが………でも最近ちょっと変わったかなぁ、と。
たぶんねぇ、自分がついてきたんですよ。
最近。
昔っからねぇ、自分に自信がないんです。コンプレックスでしょうか。
そんなことを母に言うたびに、彼女は「あんたは自信過剰に見えるけどね」なんて言って信じてくれませんでしたが、そうなんです。
たぶん親の影響。
いつだかうちの兄がこんなことを言っていた。「自分のやることなすことすべてを否定されてきた」って。
さすがにそこまで極端なことは思ってませんでしたが、それを聞いた途端に「あ、ちょっとわかるな」って思ったんです。
うちの親はね、子供褒めないですから。認めないですから。
厳しい、といえば聞こえはいいですが、そんないいものじゃない。
とにかく子供のやることを批判してきたそんな親でしたから。
ただ一応弁護をしておけば、決して彼らだって悪意でやっていたわけではないと思う。彼らはあれが「厳しさ」だと思っていたんだと思う。
甘い顔を見せずにただただ怒って厳しく叱りつけていればいいと思っていた。今の私はそう考えている。
愛情がなかったとは思わない。ただちょっと彼らは未熟な親だった。自分の子供のことがよく見えていなかった。ただそれだけだと思う。特別ひどい親だったわけでもなく、たぶんどこにでもありそうな話。
おそらく原因はそんな環境の影響。
兄のようにすべてを否定されてきた、とまでは思わないのですが、私にも昔から妙な思い込みが確かにありました。
自分が何かをやると、とりあえず「怒られる」って、なぜかそう思い込んでいたんです。
その行った行為が良いか悪いか。正しいか間違っているかに関係なく、とりあえず何か自分から行動を起こすと「怒られる」って、そう思い込んでいた自覚が昔からあります。そういう意識がありました。
ある程度成長して、大人にもなって、理屈で考えればそれはおかしな話だな?とわかるようになっても、なぜだか心のなかからそういう意識は消えずにいました。
それがどうも去年の暮れあたりから、結構消えてきたんじゃないかな………と。
いや、消えてきたのはもっと前から。
歳を重ねるごとに、年月を重ねるごとに徐々に「理不尽に怒られる」という思い込みが薄れているのは感じていました。でもきっと去年の暮れあたりに、いや、たぶん秋ごろでしょう。それがだいぶ消えたんでしょう。それこそ、後輩に「最近チャラいっすねぇwww」なんて言われるように、表にも変化が見えてくるくらいに。
なぜか?
思い当たる原因は人の影響でしょう。
誰かさんの何気ない言葉と、誰かさんの行動。
思い当たる人間が2人ほど。バイト先で出会った2人の人間。たぶん彼らのおかげ。
別に彼らがなにかを意図してのものではない。たぶんさり気なく放たれた言葉とさり気な……いや、もう一人はなんか企みがあったような気はするけど。とにかく他者のそんな何気ない行動が私の自信になったんだと思います。
そう、自信になった。
最近の私は自分という人間に自信が持てるようになってきたんですよ。
自分は意味もなく人から否定されるような人間ではない。理不尽に怒られるような人間ではない。
そんな当たり前なことをやっと受け入れることが出来るようになってきたような。そんな気がするのです。
だから変わった、といえば変わったんですが、ある意味ではやっと普通にものを考えられるようになった。
ただそれだけのようなこと。
こんなブログにだらだらと文章を書き連ねるようなことでもない。そんな些細なこと。
ただ、そんな些細なことだけど、自分は今ちょっと嬉しいのです。
最近。
昔っからねぇ、自分に自信がないんです。コンプレックスでしょうか。
そんなことを母に言うたびに、彼女は「あんたは自信過剰に見えるけどね」なんて言って信じてくれませんでしたが、そうなんです。
たぶん親の影響。
いつだかうちの兄がこんなことを言っていた。「自分のやることなすことすべてを否定されてきた」って。
さすがにそこまで極端なことは思ってませんでしたが、それを聞いた途端に「あ、ちょっとわかるな」って思ったんです。
うちの親はね、子供褒めないですから。認めないですから。
厳しい、といえば聞こえはいいですが、そんないいものじゃない。
とにかく子供のやることを批判してきたそんな親でしたから。
ただ一応弁護をしておけば、決して彼らだって悪意でやっていたわけではないと思う。彼らはあれが「厳しさ」だと思っていたんだと思う。
甘い顔を見せずにただただ怒って厳しく叱りつけていればいいと思っていた。今の私はそう考えている。
愛情がなかったとは思わない。ただちょっと彼らは未熟な親だった。自分の子供のことがよく見えていなかった。ただそれだけだと思う。特別ひどい親だったわけでもなく、たぶんどこにでもありそうな話。
おそらく原因はそんな環境の影響。
兄のようにすべてを否定されてきた、とまでは思わないのですが、私にも昔から妙な思い込みが確かにありました。
自分が何かをやると、とりあえず「怒られる」って、なぜかそう思い込んでいたんです。
その行った行為が良いか悪いか。正しいか間違っているかに関係なく、とりあえず何か自分から行動を起こすと「怒られる」って、そう思い込んでいた自覚が昔からあります。そういう意識がありました。
ある程度成長して、大人にもなって、理屈で考えればそれはおかしな話だな?とわかるようになっても、なぜだか心のなかからそういう意識は消えずにいました。
それがどうも去年の暮れあたりから、結構消えてきたんじゃないかな………と。
いや、消えてきたのはもっと前から。
歳を重ねるごとに、年月を重ねるごとに徐々に「理不尽に怒られる」という思い込みが薄れているのは感じていました。でもきっと去年の暮れあたりに、いや、たぶん秋ごろでしょう。それがだいぶ消えたんでしょう。それこそ、後輩に「最近チャラいっすねぇwww」なんて言われるように、表にも変化が見えてくるくらいに。
なぜか?
思い当たる原因は人の影響でしょう。
誰かさんの何気ない言葉と、誰かさんの行動。
思い当たる人間が2人ほど。バイト先で出会った2人の人間。たぶん彼らのおかげ。
別に彼らがなにかを意図してのものではない。たぶんさり気なく放たれた言葉とさり気な……いや、もう一人はなんか企みがあったような気はするけど。とにかく他者のそんな何気ない行動が私の自信になったんだと思います。
そう、自信になった。
最近の私は自分という人間に自信が持てるようになってきたんですよ。
自分は意味もなく人から否定されるような人間ではない。理不尽に怒られるような人間ではない。
そんな当たり前なことをやっと受け入れることが出来るようになってきたような。そんな気がするのです。
だから変わった、といえば変わったんですが、ある意味ではやっと普通にものを考えられるようになった。
ただそれだけのようなこと。
こんなブログにだらだらと文章を書き連ねるようなことでもない。そんな些細なこと。
ただ、そんな些細なことだけど、自分は今ちょっと嬉しいのです。
Posted by 白湯 at 01:59│Comments(0)
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