2010年08月03日
世間に出たら普通の子、ってさ
天才児、世間に出たら普通の子。
と、うちの父が言ったのはいつのことだったか。子供の頃だったのは確かだけど。
どういう意図で言ったのか、その時はよく分からなかった。でもとりあえず、それを聞いたときは「努力したって無駄だ、諦めろ」と言っているように聞こえた。
何より、そういう父自身が何かを諦めているように感じたっけ。
と、うちの父が言ったのはいつのことだったか。子供の頃だったのは確かだけど。
どういう意図で言ったのか、その時はよく分からなかった。でもとりあえず、それを聞いたときは「努力したって無駄だ、諦めろ」と言っているように聞こえた。
何より、そういう父自身が何かを諦めているように感じたっけ。
私は、子供の頃は結構学校の成績がいい方だったんですよ。
特に勉強をしてたつもりはないけれど、その割にはそれなりに。まぁ、それでも成長するに連れて順位とかは徐々に下がっていったんですけどね。やっぱりちゃんと努力して勉強してる人にはかないませんって。
父も、そんな感じだったらしいです。
聞いた話によればうちの父は幼い頃に、周囲の大人から「神童」なんて言われていたそうです。
まぁ、情報源が親戚ですから、多少の誇張はあったかも知れません。ですが、不思議と勉強が出来る方だったようです。
学生時代を知る母も、いつも遊んでいていつ勉強しているのか分からないけど、不思議と成績はよかった、みたいなことを言っていましたっけ。
とりあえず、高校くらいまでは「勉強しなくても不思議と成績のいい子」だったようです。
そんな彼はその後大学に進学して………2年で中退しました。
父が言うには、もともと勉強する気はなかった。なので、大学にはほとんど行った記憶がない。遠くに行く口実として大学に進学し、興味をなくし、行く理由がなくなったから中退した。そんな風に言ってました。
まぁ、それも多分本当なのだと思います。
以前、兄が大学生だった頃、家族で大学祭に遊びに行ったことがあります。
そこで公開講座というのに参加しました。大学祭に来た、一般の人を対象に普段大学でやっているような講義を体験してもらおうというものです。
専門的な内容で、正直私はよく分かりませんでしたが、ふと父を見ると興味深そうに話を聞き、メモまで取って熱心に聞いていました。
もともと勉強が嫌いな人ではないのです。
行く理由がなくなった。興味がなくなった。もともと勉強する気がなかった。
だから、大学を辞めた。
それもおそらく本当だと思います。ですが、それだけが理由ではないんじゃないかな、とも私は思っています。
おそらく、彼はどこかで挫折をしたんじゃないかな、と私は思っています。
大学に行ってからか、それとも高校生のうちにか。どこかで。
幼い頃から、周囲に「神童」なんて言われるくらい不思議に勉強が出来ていた父。
それがいつしか、周囲の人間にかなわなくなっていた。
そこで負けず嫌いに努力して挽回すればまだよかったのかも知れない。でも、多分彼はそれをしなかった。そこで早めに身を引いたんだと思います。勝負する前に、彼は逃げたんだと。
-----
彼にとっては、大きな挫折だったのでしょう。
それまで何の気なしにうまくいっていたことが、一気に崩れた。うまくいっていた期間が長かっただけに、崩れたときは辛かったのではないかと思います。
天才児、世間に出れば普通の子。
さも一般論を言うように彼は言っていましたが、おそらくあの言葉は彼自身の経験からえた言葉。自分の経験から得た教訓。
そんな彼自身の経験から、自分の子供たちには同じような辛さを経験させまいと、早めに諦めるように。早めに挫折を経験するように。そんなことを彼は考えていたのではないかと思います。
だから、彼の言葉から感じられた「努力したって無駄、諦めろ」という印象は、父親としての彼なりの優しさの現れだったのかと思います。
アホくさ。
ふざけんな、って話ですよね。
余計なお世話だ、と。
そりゃあ、人生において一度や二度の挫折はあるでしょうし、そういうのは若いうちに経験しておいた方がいいと思います。若いうちなら立ち直るのも早いでしょうし、ほんとに歳いってからの挫折は下手したら立ち直れないかも知れません。
ですが、それをするためならば、むしろ思いっきりつっぱしらせるべきでしょう。
そりゃあ、そういうことが出来なかったのを親のせいにするというのも格好の悪い話ではありますが、それでもうちのバカな父親は間違いなく自分の子供の後ろ髪をひっつかまえて、先に進めないように足を引っ張っていたと思います。
ある意味で、あのバカ親はとっても過保護だったんだろうと。
ただやっかいなことは、決して彼も悪意でやっていたわけではないということですが………。
若いうちにいろんなことをし、いろんな経験をし、またいろんな壁にぶつかって挫折を繰り返す。
そういうのは、後々の大きな財産になるんだと思いますが。たぶん、私はそれをやることが出来なかった。
しようとしても、そこには邪魔者がいました。これが敵意をもって邪魔をしてくるのであればまだ排除の仕様もあったのですが、やっかいなことにその邪魔者は優しさと愛情でもって邪魔をしてきたのだと思います。
それでもそんな障害を排除する手段はあったのかも知れませんが、残念なことに幼い私にはその術が思いつかなかった。
ま、過ぎた話なんですけどね。
関連リンク
■読解アヘン
以上の内容は、こちらのサイトにある漫画「臆病色にひかるキャンバス」を見て思いつきました。
PICTのページから見ることが出来ます。
特に勉強をしてたつもりはないけれど、その割にはそれなりに。まぁ、それでも成長するに連れて順位とかは徐々に下がっていったんですけどね。やっぱりちゃんと努力して勉強してる人にはかないませんって。
父も、そんな感じだったらしいです。
聞いた話によればうちの父は幼い頃に、周囲の大人から「神童」なんて言われていたそうです。
まぁ、情報源が親戚ですから、多少の誇張はあったかも知れません。ですが、不思議と勉強が出来る方だったようです。
学生時代を知る母も、いつも遊んでいていつ勉強しているのか分からないけど、不思議と成績はよかった、みたいなことを言っていましたっけ。
とりあえず、高校くらいまでは「勉強しなくても不思議と成績のいい子」だったようです。
そんな彼はその後大学に進学して………2年で中退しました。
父が言うには、もともと勉強する気はなかった。なので、大学にはほとんど行った記憶がない。遠くに行く口実として大学に進学し、興味をなくし、行く理由がなくなったから中退した。そんな風に言ってました。
まぁ、それも多分本当なのだと思います。
以前、兄が大学生だった頃、家族で大学祭に遊びに行ったことがあります。
そこで公開講座というのに参加しました。大学祭に来た、一般の人を対象に普段大学でやっているような講義を体験してもらおうというものです。
専門的な内容で、正直私はよく分かりませんでしたが、ふと父を見ると興味深そうに話を聞き、メモまで取って熱心に聞いていました。
もともと勉強が嫌いな人ではないのです。
行く理由がなくなった。興味がなくなった。もともと勉強する気がなかった。
だから、大学を辞めた。
それもおそらく本当だと思います。ですが、それだけが理由ではないんじゃないかな、とも私は思っています。
おそらく、彼はどこかで挫折をしたんじゃないかな、と私は思っています。
大学に行ってからか、それとも高校生のうちにか。どこかで。
幼い頃から、周囲に「神童」なんて言われるくらい不思議に勉強が出来ていた父。
それがいつしか、周囲の人間にかなわなくなっていた。
そこで負けず嫌いに努力して挽回すればまだよかったのかも知れない。でも、多分彼はそれをしなかった。そこで早めに身を引いたんだと思います。勝負する前に、彼は逃げたんだと。
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彼にとっては、大きな挫折だったのでしょう。
それまで何の気なしにうまくいっていたことが、一気に崩れた。うまくいっていた期間が長かっただけに、崩れたときは辛かったのではないかと思います。
天才児、世間に出れば普通の子。
さも一般論を言うように彼は言っていましたが、おそらくあの言葉は彼自身の経験からえた言葉。自分の経験から得た教訓。
そんな彼自身の経験から、自分の子供たちには同じような辛さを経験させまいと、早めに諦めるように。早めに挫折を経験するように。そんなことを彼は考えていたのではないかと思います。
だから、彼の言葉から感じられた「努力したって無駄、諦めろ」という印象は、父親としての彼なりの優しさの現れだったのかと思います。
アホくさ。
ふざけんな、って話ですよね。
余計なお世話だ、と。
そりゃあ、人生において一度や二度の挫折はあるでしょうし、そういうのは若いうちに経験しておいた方がいいと思います。若いうちなら立ち直るのも早いでしょうし、ほんとに歳いってからの挫折は下手したら立ち直れないかも知れません。
ですが、それをするためならば、むしろ思いっきりつっぱしらせるべきでしょう。
そりゃあ、そういうことが出来なかったのを親のせいにするというのも格好の悪い話ではありますが、それでもうちのバカな父親は間違いなく自分の子供の後ろ髪をひっつかまえて、先に進めないように足を引っ張っていたと思います。
ある意味で、あのバカ親はとっても過保護だったんだろうと。
ただやっかいなことは、決して彼も悪意でやっていたわけではないということですが………。
若いうちにいろんなことをし、いろんな経験をし、またいろんな壁にぶつかって挫折を繰り返す。
そういうのは、後々の大きな財産になるんだと思いますが。たぶん、私はそれをやることが出来なかった。
しようとしても、そこには邪魔者がいました。これが敵意をもって邪魔をしてくるのであればまだ排除の仕様もあったのですが、やっかいなことにその邪魔者は優しさと愛情でもって邪魔をしてきたのだと思います。
それでもそんな障害を排除する手段はあったのかも知れませんが、残念なことに幼い私にはその術が思いつかなかった。
ま、過ぎた話なんですけどね。
関連リンク
■読解アヘン
以上の内容は、こちらのサイトにある漫画「臆病色にひかるキャンバス」を見て思いつきました。
PICTのページから見ることが出来ます。
タグ :父
Posted by 白湯 at 03:49│Comments(0)
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